第三回 命との接し方
「新鮮な魚は臭くない」その短い言葉は彼の中に長く留まり続ける。
弱冠5歳、こうして今に続く“”疋田拓也“”としての原型が形成された。
「おいしいいー!!」魚を食べて、初めて感じた気持ちだ。
魚ってこんなに美味しいんだ。
今までの魚とはまるで違う物のようだ。
家庭菜園にて自分で育て、自分で摘んだトマトを食べ、子どもがトマトを食べられるようになるのと同じで、実際に経験することはやはり大変素晴らしい結果をもたらす。
釣りを通じて彼はどんどん魚を好きになっていく。
誕生日に魚図鑑をプレゼントしてもらい、釣り上げた魚を一尾ずつ丁寧に調べた。
魚を好きになり、大きくなったら魚関係の仕事に就きたいと周りに話すようになった。
しかし、魚関係といっても幅広い業種がある。
漁師、研究者、貿易会社、ただ漠然と「魚が好き」という軸が彼をさらなる魚好きへと押し進めていった。
「魚しか能がないくせに」周りにはそう言って馬鹿にしてくる人もいた。
傷つき、悲しくなる時も、彼は自分を変えることをしなかった。
本当に好きだったから、ただそれだけだろう。
彼は魚好きを貫き通す。
やはり自分にはこれが一番、これが一番楽しいというものを見つけてしまった。
人生において一番大切であり、かつ見つける事が一番難しいものを手に入れてしまった。
彼は魚好き、海好き、釣り好きのまま成長を重ね、休みあるごとに父親・友達と釣りに出掛けた。
ある時は電車を乗り継ぎ伊豆半島へ、またある時は山梨にある湖へ、そして自転車で3時間走り抜け東京湾岸にも出掛けた。
彼は釣りを通じて、時間管理・行程管理を多く経験し、また緊急時の危機管理・応急処置についても学んだ。
時は進み、彼は東京渋谷にある都立広尾高校・普通科に入学する。
高校1年に「小型船舶操縦士4級」、次いで高校3年「小型船舶操縦士1級」を取得する。共に最年少枠での合格となった。