第十一回 活路
「死ぬこと以外、大したことではない」そこからの彼は生き方が変わった。
日々の過ごし方が変わる事で、結果も変わる。
闘うことでしか、前には進めない。
何を見ても、何を感じても、これから何を探すとしても..何を残し、何を捨てればいい。
分かるだろう・・そこからの彼は強かった。
眩暈は残り、耳鳴りは強い。
右耳の聴力は戻らない。
現状は厳しい、それは事実だが気持ちの持ち方で全く行動は異なる。
「今までは身体を使った仕事が出来た。でももしかすると、寝たきりの生活が続くかもしれない。将来は頭を使う仕事が中心になるかもしれない。」
彼は病室で“ファイナンシャルプランナー”と“マンション管理業務主任者”の資格勉強を始めた。
そして、医師から言われていた手術を受けてみることも決意した。
「疋田さん、外傷がある手術ではありません。その為、手術しても治るかどうかは分かりません。むしろ今以上の眩暈や耳鳴りを引き起こしてしまうかもしれません。これは疋田さんの決断に委ねるしかない状態です。」
薄れゆく意識の中で横たわる手術台にて、彼は医師の言葉を思い出しながら目を閉じた。
不安と希望が交錯する中での決断であった。
再び目を覚ました時、彼は違う病室に戻ってきていた。
「耳はどうなったのだろうか?」ただ聴力は戻っていない..すぐに分かった。
しかし明らかな違いにも気が付いた。
それは眩暈である。
ベッドから起き上がるとクラっとする感覚が薄い。
「やった!」平常とは言えないものの改善をかなり感じることが出来た。
そして、そこから数ヶ月に渡り、起居訓練・歩行訓練を重ねる。
努力と継続は報われる。
最終的には、一人で日常の生活を送れるレベルにまで回復する。
寝たきり生活より8か月が経過していた。
長い長いトンネルを抜けた。
終わりが見えないマラソンを走っているような暗中模索の中、彼は一つの結論に達する。
「死ぬこと以外、大したことではない。」
後遺症で右耳が聴こえなくても、まずは生きている。
そして歩ける。
歩いていれば、いつか目標点に達する。
疋田拓也がもう一段階、強くなった瞬間だった。
「疋田、セリ人としての復職は難しいだろう」そう上司から言われた。
やはり聴力に障害がある中では100%の聞きわけは出来ない。
セリは掛け声が一番の要素である為だ。
結果、まずは各部門の帳面整理が与えられた。
所謂、デスクワークであるが、それがまた疋田拓也としての幅を広げる要因となった。
築地市場では毎日20億円の水産物が取引され、取扱魚種は450種類も及ぶ。
勿論、全ての取引情報が手元に集まり、仕訳整理するまでは言わないが、かなりの生データーを毎日大量に処理する。
数魚種のプロフェッショナルになるセリ人とは違い、彼は幅広い魚種相場を自然と学んでいく事になった。