第十八回 変化をするのか、変化をさせられるのか

2014年3月1日に長女海里が誕生し、家族という意味をより深く考えるようになる中で、仕事も順調に拡大を重ねる。

アラスカ・カナダへの鮭鱒類買付視察や中国への加工工場視察等、これまでの築地セリ人としての範疇を越え、新たな領域へと舵を切る事になった。

同時につまりそれは家を不在にする時間が増え、家族と過ごす時間が減るということを指していた。

「何の為の結婚、何の為の家族なのだろうか?」彼の中でまた一つ「人生の歩み方」という点において、一つの疑問が生じた瞬間でもあった。

 

日本において少子高齢化による市場減少や高品質競争による安値販売の加速が叫ばれて久しいが、やはり水産業界においてもこのような状況が日に日に増して感じられるようになってきた。

その中で市場はどうであったのだろうか。

1923年の関東大震災を受けて、日本橋魚河岸が壊滅状態になる。

新たな市場機能が移築され、「土を埋めて築いた土地」と書いた現在の築地市場が誕生した。

そして、豊洲市場が開設されるまでの83年もの間に市場を取り巻く環境は大きく変化していくことになる。

勿論だが、そもそも日本国内の水産品における価格決定権は「漁師」=「現場」にあった。

しかし時は流れ、街の商店(魚屋)は大きなGMS(量販店)にその存在を消され、大きな購買力による安値販売が中心となり、昔ながらの経営をしていた個人商店は姿を消していくことなった。

漁師が100円で漁獲したものは、市場流通を含む中間的流通を経て、最終的に100円+αで小売店に並ぶことが従来の流れであったが、それは完全に逆転し、量販店が200円で販売するように広告を打ち、それを逆算するように漁師が50円など安価に供給することが臨まれるように変わった。

勿論、彼自身も「昔ながら」が全て良いとは考えておらず経営努力や経営変革をしない業界や企業が淘汰され、その中で強いモノが勝ち残る縮図を肯定していた。

 

市場という存在について販売方法の観点から分解して考えてみると、基本的には「セリ販売」「相対販売」それと乾物物に行われる「入札販売」の3つに分けられる。

上述通り、初期の頃は個人商店向けが多く、後期になるにつれて大型量販店向けが増加する傾向にある。

量販店向けの販売では規格物(色・大きさ・産地などが揃った魚)が望まれ、不揃いな天然物よりも養殖物にシフトしていく。

また量販店では販売をする実店舗と魚を梱包・加工する場所(センター機能)が異なり、より早い時間帯に集荷物流する必要性が生じた。

それを加味した場合、以前のセリ販売という方法では欲しい物=規格物だけを拾い集め仕入する事が難しく、またセンターへの移送後、実店舗への物流という時間的制約も鑑みて、セリ開始時間(築地では5時台が中心)について不便さが生じた。

その為、市場は時代に流されるようにして、特例措置(セリで残ったものに対して、当事者間で値付け販売を行うことが認められていた)である相対販売が主流となり、より市場流通の均一化が進んでいった。

上記のように、市場流通は「なし崩し的」に機能が変化し、そこに入場している業者もより均一的な規格を欲しがり、それに対応する形で各産地漁師も同じような魚種中心で漁獲を行うようになる。

誰しもが右に倣えの状態を彼のような存在が疑問を抱くことに時間は掛からなかった。