第二回 運命の一匹
この日が人生にとって大きな転機になるとは、彼も含めて誰も知らなかった。
しかし、振り返ってみれば「疋田拓也」としての人生を決めたのは紛れもなく、初めて釣った1匹の「ネンブツダイ」だった。
「おお!釣れてる!!」思わず彼は大きな声をあげる。
真っ赤な魚が水面から顔を出す。10cmくらいのちっぽけな小さな魚。
それは彼にとって素晴らしい感動……しかし同時に、大きな恐怖を感じる瞬間となる。
「うわー、生きてる!気持ち悪いよー!!」
そう、彼は魚を触ることも、もちろん食べることも全く出来ないのだ。
「ほら、見てごらん」父親が続く。
優しく魚を持ち上げ、大きな彼の手のひらで小さな魚が躍る。
綺麗な目、鮮やかな色彩、全てが街のスーパーなどで見てきた魚とは違うように感じる。
「これが魚なの?」彼は驚いた。
「新鮮な魚は臭くないんだよ」父親がタバコを片手に持ちながら自慢げに応える。
「さあ、あったかいうちに食べてごらん」釣りたての魚が食卓を彩る。
ネンブツダイの塩焼き、ベラの煮つけ、小イワシのフライ等々、しかし魚嫌いの彼にとってみれば悪夢のような食卓。
「ハンバーグがいいなー」彼は不満げに応える。
「誰が釣った魚なのかな?釣り上げて死んでしまった物を食べてあげずに捨ててしまったら、魚が可哀そうだよね。しっかり“頂きます”をしてごらん。それが命との接し方だよ」
“命との接し方”、“新鮮な魚は臭くない”、その短い二つの言葉は彼の中に長く留まり続ける。
弱冠5歳、こうして今に続く“疋田拓也”としての原型が形成された。