第二十一回 それがこうなる

「物流拠点」となれば、どうなるだろうか?答えは簡単である。

買い手としては「1円でも安く、1秒でも早く、その場を通過して欲しい」という事だ。

ここで少し市場での物流とそれに関係する利益構造について共有しておこう。

可視化した方が理解しやすいかと思われるので、以下をご覧頂きたい。

 

 

2009年3月に海洋学科を卒業し、4月に入社した築地魚市場である。

配属は鮮魚部だった。生の魚を取り扱い、目利きが求められる部門であった。

そして連日の多忙により、右耳聴力を失い、三半規管にダメージを負う事で平衡感覚を失ってしまった。

寝たきりの生活、しかし強い精神力により絶望からの復活、自分の心が強くなった瞬間であった。

業務復帰をするものの一時的なデスクワークが業務の主軸になる。

それにより、一魚種のプロではなく他魚種においての知識が深まり、市場において類まれなオールラウンドプレーヤーになることが出来た。

 

そして、2013年の部署移動だ。

鮮魚部から塩冷部へ。

生鮮から冷凍への移動だ。

貝類(カキ・ホタテ)から始まり輸入鮭鱒・国産鮭鱒、そして鮭鱒魚卵へと、この新天地においても大きな商材・小さな商材含めて数多くの取扱をしてきた。

「全ての道は鮮魚に続く」原料への理解が他プレイヤーとは異なることが大きな優位性に繋がり、2回の成績優秀賞(社長賞)を受賞し、300名近くいる社員の中でもトップのセリ人となった。

 

イクラの話を以前したかと思うが、その後の人生において大きな決断となった「カナダ移住」の原石となる体験が2016年のアラスカ出張だ。

イクラの産地といえば北海道や三陸を想像する方も多いと思うが、価格や漁獲の動向により日本ではアラスカ・カナダ・ロシア・ヨーロッパ(デンマーク・ノルウェー・フィンランド)産のイクラが出回る事も多い。

当時、会社の方針でイクラ事業を伸ばすという方針の中、それに沿う形で私が北海道モノと海外モノの取扱強化していたわけだ。

では、その転機のきっかけとなるアラスカ出張とはどんなものであったのか。

もう少し紐解いて共有をしたいと思う。